数日前に卵巣嚢腫の摘出手術を受けました。大きさは左右ともに約10cmと、事前に聞いていた大きさよりも大きくてびっくりしましたが、ほぼ良性だろう(病理検査で最終的に結果が出ます)とのことで、癒着も少なく卵巣も残すことができました。経過も良好で、1日ずつ自分の身体が回復していくのを実感しています。

周りの方々には心配していただきずっと温かい声を掛け続けていただきました。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

以下、入院前からの覚え書き。

 

1/22 Sun. 入院前日

 

しなくてはならない家事や不在にするための片づけと微熱による体調不良、入院準備などでかなり手いっぱいになりながら夕方までばたばたしていた。夕方からは友だちの合同誕生日パーティーのため、六本木へ。ここのところご無沙汰していた友だちにたくさん会えてうれしかった。音楽を大きい音で聞いたのも久しぶりだった。イベントの計画や誕生日ケーキや思い出MV(これが超いい写真ばっかりでぐっときた)を激務の間をぬって友だちが準備していたのかと思うと胸が熱くなった。わたしは翌日のことを考えて少し早めにお暇して帰って来たのだけど、帰り道ずっと気持ちがあたたかくて早足で駅まで歩いた。

 

1/23 Mon. 入院1日目

 

10時に病院にチェックイン。入院は3度目、8年ぶり。手術は初出場。部屋に着いてそわそわしていると検査を受けるよう話があった。採血と出血時間の検査、尿検査、下腹部エコー。その後麻酔医の説明や栄養士からの説明などがあった。映画は「イリュージョニスト」「狂っちゃいないぜ」を観た。昼は常食で串カツなどが出た。夜は低残渣食で消化のいいものを中心に。下剤としてプルセニドを処方され服用。

東京はこの夜大雪が降った。夜中トイレに行った時、寝静まった病棟のすみっこからそっと外を見たら真っ白だった。

 

1/24 Tue. 入院2日目 手術前日

 

引き続き朝昼と低残渣食。ナースステーション前の術前術後用の大部屋に移動。オペ室担当ナースから手術当日の流れの説明があった。微熱が37度から37.7度まで上がってしまった。夜からは絶食、21時以降は絶飲食。

この日には大きな出来事があった。夜、急に担当医に呼び出されたかと思ったら「申し訳ない。僕は体調を崩してしまいドクターストップがかかってしまい、明日のあなたの手術を担当することができません」と言われた。頭の中が真っ白になり言葉を失っていると担当医は淡々と事実を話し続け、「これから急いで代理執刀する医師を探すが、皆スケジュールが詰まっていて難しい」「あなたも日中熱発しているしお互いベストのコンディションでの手術が望ましい」「そうなると手術は延期になる可能性が高い、いったん退院してもらい●月●日の外来を予約するので改めて相談したい。ちなみに現在良性枠で空いているのは3月●日で…」「あなたは良性だから数カ月手術が延期になっても大丈夫」「とりあえず明日の朝9時に最終決断をします」

なにをいってるのかわからねーとおもうが…。

部屋に戻って茫然としていたが、具体的にどうすればいいのか?休みの手配はどうするのか?延期になるとして、入院費は重複してわたしが負担するのか?欠勤した分も自分が全部負担するんだろうか?全部病院の都合なのに…それより何より、あと2カ月も放っておかれて、症状もそうだが精神的にもつのだろうか?あの先生は腕はいいんだろうがあの言い方はない、信頼できなくなった。転院するならどこがいいんだろう、時間はどちらの方が早いんだろう…と考えていたら段々と怒りが湧いてきて「それどう考えてもそれ納得できないよねー」となりナースステーションに行ってナースと話をした。ナースもさすがに同情したのだろうが表だって批判するわけにもいかず「まあとりあえず明日の判断を待ちましょう」というような対応。ちなみに熱はいつの間にか引いていた。

その後、昼間飲んだマグコロール(水に溶かして飲む、少し甘い)の効果がその後出て来たのだが、下剤に慣れていないせいかトイレで気分が悪くなり嘔吐して部屋に戻れなくなりナースコールのお世話になった。駆けつけたナースに車椅子で引きずり出してもらい横になって氷を舐めさせてもらった。ちなみにその翌日のグリセリン浣腸でも吐きはしなかったもののやはり気分が悪くなったので下剤はすっかり苦手意識ができてしまった。

頭がぐるぐるになっていたところに神のタイミングでおなかがぐるぐるになってそれどころではなくなってその日は終了。

ちなみに予定通りであれば翌朝5時半に浣腸だったのだけど、状況を鑑みてナースが担当医に掛け合ってくれて手術の実行が決まったら行うことになった。ありがたかった。手術が中止になったら、おなか下し損だもんね。

 

 

1/25 Wed. 入院3日目 手術当日

同室の同じ手術日の人たちが早朝次々と呼ばれ浣腸の儀式を受けているのをぼやけた意識の中で聞いていた。絶飲食中なのでもちろん朝食もなく、気持ち的にももやもやしたまま朝9時を待った。すると師長と手術の副担当のドクターがやってきて、話をしましょう、と。カンファレンスルームで「手術は僕が担当することになりました。可能性としては、本日と来週の月曜日です。どちらに決定するかはもう少しお待ちください。」と話があった。もちろん今日受けることを希望する旨を伝え、手術計画の再確認。担当医よりも細かく手術時のリスクの説明があった。どれも知っていることではあったが、とても丁寧な先生だと思った。

面談を終え部屋に戻ってしばらくすると再び師長がやってきて、「では今日手術を予定通り行います」と。よ、良かったー!!!何このプロレスイベント。代わりの執刀医が、言っていた。「医者もね、こういうことがあります。にんげんだもの。」 いざ言われると何か身体の力が抜ける。

その足で点滴を入れてもらいに行き、もうしばらくしてからグリセリン浣腸を受けた。グリセリン浣腸については既に述べた通り。トイレから脱出した後廊下のソファでぐったりしていたら通りかかったナースに回収されて部屋へ戻った。ナースの間のわたしのあだ名はきっと「オペリスケ寸前下剤貧血」に決定。

13時前に母親がやってくる。簡単にトラブルの経緯を説明。いろいろあったけれど予定通り手術を受けることになった、と。「一回も診てない先生なのに大丈夫なの!?」と心配していたが、まあ救命医なんかいつもそうだし、どうにかなるんじゃないかなー。医長だし。検査データも全部揃ってるし。なにより、わたしはこのドクターのことを信用するほかないのだ。

14時過ぎ、前に手術を受けた同室の人が手術完了したという連絡が漏れ聞こえてきたので、そろそろだと思った。渡されたオペ着に着替え、血栓予防の加圧ソックスを履く。エメラルドグリーンに白いタイツ、ピーターパンのよう…と思いながらオペ室まで歩いて移動。オペ前は普通に歩いて移動する。昔病院に勤めていた頃にもオペ室は入ったことがなかったなーと思う。オペ室はがらんとしていて広く、テレビドラマなどで見るような風景そのままで、天井から複数の大きなライトと中央にベットがある。部屋はひんやりと冷たく、徹底して清潔にしてある部屋独特のにおいがした。オペ室のプロたちはプロの笑顔でわたしを迎え、間違いのないよう手術への準備に取り掛かる。わたしは緊張していたかと言うとそうでもなく、なぜならオペ室のプロたちはプロ中のプロであるのを知っていたし、前述の通りわたしはドクターも信用することに決めていたから手術に対しての不安はあまりなかった。事前にリクエストしていた術中の有線がちゃんと「ゆったりめの洋楽」になっているか、そして誰の曲かを確認してから意識を失おうと耳をそばだてていた。てきぱきと手順が進められ、わたしの口に酸素マスクが当てられる。手術は全身麻酔のみのため、すでに入れている点滴に麻酔薬が入れられる旨が伝えられ、それを聞いている間に意識を失った。意識を失う直前に聞いていたあの男性ボーカルは結局誰だったんだろう…バックストリートボーイズみたいだった。手術室にこだまする甘い声がおかしくて、わたしはきっとちょっとにやけながら寝ていたに違いない。

短い夢を見ていたような気がする。もやのような意識の向こうから自分に投げかけられる言葉が聞こえてきた。多分手術が終わったので部屋に戻ります、みたいなことだったと思う。ストレッチャーで運ばれるガタガタとした振動を全身で感じながらゆっくりと天井の景色が変わって行くのを見た。ベッドの周りで母親が動いているのが見える。「寝ているので、帰ります」。「即かよ!引き上げ早いな!」と思ったが目が開かず声にもならない。

しばらくすると、おなかだか腰だかが猛烈に痛くなってきた。ここらへんは時間の感覚がなく、時計も見られなかった。おなかと腰がとにかく痛いけれど寝がえりもままならず、以前教えてもらった「なんとか位」を思い出してやってみたり、ひとしきり痛みと戦った。睡眠を断ち切るかのように定期的な吐き気がやってきた。うとうとしている間はなぜかずっと「一文字大喜利」の夢を見ていた。「5!」「5人の男たちが……」みたいな調子で延々爆笑問題がお題からネタを繰り出し続ける。やめてくれー!大喜利は好きだけど今日はいい。「夢!」「夢の話は●●と言いますが…」勘弁してくれー。今思い出すと大分面白い。 

その晩は37度台の熱と、延々続く緩やかな嘔吐と患部の痛みでほとんど眠れなかった。ナースは30分おきに巡視に来て、代わる代わる同室の3人の様子を見ている。どうですか?、血圧測りますね、酸素調べるので指一本ください、左側で体温測りまーす…どうですか?血圧、酸素濃度、体温…どうですか?血圧、酸素濃度、体温…。同室の人たちもこの音聞いてるんだろうな…と思いつつ、止まらないこみ上げる胃液。暗くてよく見えなかったが、茶色かった。唾液を飲み込んでは吐き、飲みこんでは吐いた。吐き気止めの点滴も安定剤の点滴も効果がなく、最終的に吐き気止めの坐薬(ナウゼリンだろうか)で決着がついた。その頃には病室はうっすらと明るくなっていた。朝がやって来たのだ。朝が来ると、わたしの戦争は終わったような気がしてすごくほっとしたのを覚えている。

 

 

1/26 Thu. 入院4日目 術後1日目

おなかと腰の痛みを少しずつ体勢を変えてやりすごしながら寝ていると、ナースがほかほかのタオルを持ってきてくれた。肩や背中にあたたかいタオルをあてがってくれる。反射的に「あーーーーー」と声が出る。とても気持ちがよかった。全身をふいてくれ、点滴のチューブをつけたままの着替えを手伝ってもらった。着替えるととてもさっぱりして生き返ったような気持ちになった。

手術の翌日から早期離床を目的とした歩行開始がある。今はケロっとしてるけど、この時はベッドに足を掛けて座ることすら大変だった。足を掛けるのに1ステップ、座って身体を起こすのに1ステップ、立ち上がるのに1ステップ、立ちくらみがあったら最初に戻ってしばらく休憩。段々慣れて立ち上がっても生まれたての子牛のようにならなかったら、ゴーサイン。部屋を移動して、大部屋に戻る。

身体が重い。おなかがすごく痛い。点滴が邪魔だし腕が何となく痛い。部屋を移動して、あれこれ片づけたいのにそれどころじゃなくひたすら横になっていた。熱も37.7度ぐらい。

昼から飲水許可が出る。急には飲めないのでおそるおそる、少しずつ飲む。吸い飲みが見つからなかったので、100均のストロー穴のついたコップを使っているのだが、寝ながら飲むのはやはり少し難しい。

夜、流動食を再開。流動食ってほぼ「液」なので、やっぱりあまりおいしくない訳なんだけど、でも「うれしい」んだよなあってしみじみした。ちなみに常食も流動食も同じ値段なのだけど、不満に思う人はいたりしないんだろうか。常食は控えめな味付けだけどちゃんと作ってある味がして、わたしは好きだ。野菜もたくさん食べられるし、一人暮らしだと作れない品数なのでありがたみがある。

夜ごはんを食べた後、ナースに10回連続ぐらいで「ガスは出た?」と聞かれる。おならのことなのだが。ちなみに院内は「ガス」派、「おなら」派に分かれる。

食べ物を身体の中に入れると、おなかが途端に動き出すのが面白い。また点滴で栄養素はとっているはずなのに、明らかに元気が出た感じがした。twitterに簡単に経過報告をしたら、たくさんの返事が来てとても嬉しかった。ありがとうございます。

起き上がると、脇腹から背中にかけて「ボコボコボコボコ…」と何かが体内で移動しているのが分かる。水分だろうか?そうか丸2日空っぽだったんだもんな。痛いような物珍しいような。

また患部のガーゼ交換も頻繁だった。傷口はステープラで留められていて、真ん中からチューブが出ている。消毒中にむき出しになった患部をじっと眺めているとナースが「わたしなら直視できないです」と苦笑いした。わたしは、この風景が自分の体に起きていることという実感がありません。チューブからは溜まった体液が染み出てくるのだそうだ。実際、血液ではない、少し赤っぽい液がたくさん出てくる。もちろん傷口は痛いのだが、チューブから出るから痛いということはない。ガーゼや腹帯でぐるぐる巻きにされているので、嚢腫を摘出してぺたんこになったはずのおなかはまるで妊婦のような見た目になっていた。

夜、ドクターがやってきた。「今日が一番しんどいです。明日には今日の半分になるはずです。」その言葉を信じて眠った。

 

 

1/27 Fri. 入院5日目 術後2日目

 

ほんとだ!昨日より全然楽だ!一人で洗顔もできるし着替えもできる。何ならベッド回りの片づけだってできるし、携帯をいじる気にもなれる。夕方にはPCも久しぶりに取り出した。熱を測ったら平熱に戻っていた。動けないには動けないなりの理由があるのだと理解した。

「八日目の蝉」を観た。永作さんすごくかわいい。でもやっぱり実母かわいそう。

昼に胸部レントゲンを撮りに行った。10月は5回ぐらいマイコプラズマ肺炎でレントゲン撮ったよな…と思って少し懐かしい気持ちに。レントゲン室の前の廊下で、同じ日に手術だった患者さんと会って少し話す。「大分具合よさそうね」と彼女は言い、自分はまだおなかの傷が痛くて辛い、という話をしていた。やはり腹腔鏡と開腹だと身体の負担が違うのだと思った。

食事は朝昼は流動食、夜から五分粥五分粥になると大分ご飯っぽくなってくる。胃が縮んだのか、いっぺんには食べきらず、休憩しながら食べるようになった。母が新しいパジャマを持ってきてくれた。ゆるふわファンシーなやつ。夜寝る前にボルタレン坐薬を入れてもらうようにしたら、すごく楽になった。また点滴がこの日で終わったので、すがすがしい気持ち。

寝ている間に盛大に寝言を言っていたようだ。どうしよう…。

 

 

1/28 Sat. 入院6日目 術後3日目

 

前日よりもまた身体が楽になっている気がする。入院生活のコツも掴めてきた。普段より手順が多い、制限やルールが多いのでなかなか飲みこめなかったが、慣れればどうってこともない。しかしお風呂に入れない生活が続いているので髪の毛が地獄のようになっている。

午前中、例のチューブを抜いてもらった。抜いているところを何気なく眺めていたら、チューブがどんどん伸びて…ってあれー!?何その長さ!!ゆうに30センチはあったであろう。「う、わー 長っ」と思わず言ったら先生が「あー見なきゃよかったね」って言って笑った。あんたどこにいたの、という気持ち。処置後、何重にもなっていたガーゼは一気に薄くなった。

腹帯という、傷口を保護する腹巻きのようなものを使っているのだけど、ガーゼで厚みがなくなりサイズが合わなくなったので、未使用の残り1つを交換してもらいに売店に行った。売店のおじさんは「未使用なんでサイズ交換を…」と差し出した腹帯の袋をびりびり破いて開け「名前書いちゃってない?看護婦さんがよく勝手に書いちゃったりしてるからさー…って大丈夫だね、いいよ」と交換に応じてくれた。ありがたいけどビリビリはいいのかな。

この日は面会があった。病室で長話も何だし、と場所を変えて話した。母親以外の院外の人としばらく話してなかったので楽しかった。食事制限もなくなったことだし、ということでリクエストした和菓子も買ってきてもらったので、大事に食べようと思う。午後はその後メールの整理をしたり、この日記を書いて過ごした。

夜ごはんは十分粥にレベルアップ。お隣の方から和久傳の西湖のおすそわけがあってとてもうれしかった。わたしも退院までに何かお返ししないと。