雨宮まみさんのこと

 たぶん世の中に同じように雨宮まみさんのことが好きで、同じように「自分にとってどんな人だったか」「どんな言葉で救ってもらえたか」ということを書く人が今たくさんいると思う。他の人と書くことと似たり寄ったりでも、ここはわたしの日記を書く場所なので、人の目を気にせず自分が思ったことを以下に書くことにした。

 

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 雨宮まみさんの訃報を知ったのは11月17日の夜だった。ニュースが流れたのはその日の昼過ぎだったから、だいぶ遅れて知ることとなった。

 前日の16日の夜から、わたしは原因がよくわからないまま気持ちが落ち込み精神的にあまり余裕がなかった。そういう時には必ず対処法の一つとして、入ってくる情報量を絞るようにしている。だから、ほぼまる一日ニュースやSNSから離れて過ごしていたので、友だちからの彼女の急逝を嘆く内容のLINEを仕事帰りに見てやっと知った。情報を絞っていたのに、ごつごつした石を投げつけられたかのような乱暴な知らせが目に飛び込んできた。

 今自分が気持ちが沈み消えてしまいたいような気持ちだったところに、まさか尊敬している人が亡くなってしまうなんて。もう彼女の書いた文章や、美しい写真が見られないなんて。強い衝撃を受けると、本当に「ガンッ」という音が聞こえるのだな。

 それは、「自分の気持ちを代弁してくれるような人がいなくなってしまったことのショック」だとか「自分が感じていた衝動はこんなことになりうることへの動揺」だとか「本当に死んでしまった人に対して、自分は「死にたい消えたい」とうだうだ思いつつきっちり働いて明日以降も生きていこうとしている、みみっちい有様のいたたまれなさ」だとか、とにかくいろんな気持ちがぐちゃぐちゃに入り混じったもので、あれこれ書き連ねたけれど今もうまく言葉にしきれない。

 LINEを見た後は家に着くまでずっと泣いていた。悲しいと言えば悲しいけれど、悲しいだけではなかった。雨宮まみさんの書く文章に共感することが多かったあまり「自分の一部が欠けた」ような感覚すらその時は覚えた。実際に一対一でお会いしたことも、やりとりをしたこともなくて、彼女が心のうちで思っていたことなんて何一つ知らないわたしが。

 

 雨宮まみさんのことは、はてなダイアリーで書かれていたブログ「弟よ!」で知った。ずいぶん前だったので、何がきっかけだったかははっきり覚えていない。

 「女子をこじらせて」のweb連載(当時は「セックスをこじらせて」だった)はリアルタイムで読んでいた。毎回更新があるたびに、衝撃を受けた。剥き出しすぎて、読んでいてつらい時もあるのにどんどん引き込まれて読み進めてしまう魅力があった。すごいものを読んでいる、と少し震えたのを覚えている。

 その後書籍化が決まり、活躍の場をめきめきと広げていったのは周知の通りだ。後述するが、全ての連載や著作を読んでいたわけではなかった。自分が読んでいたものだけの話になってしまうが、いつも女性の生きづらさを受け止め、真摯な言葉で語られていたように思った。

 特に「穴の底でお待ちしています」では何回も気持ちを救ってもらった気持ちになった。きっとそういう人がたくさんいたと思う。こんなに人の相談に向き合うことなんて、自分にはできない。自分にとって、あの連載の文章は定期的に書いてもらう処方箋のようだった。

 去年から連載の始まった「40歳がくる!」は、正直なところ時々しか読んでいなかった。つまらなかったのではなく、毎回あまりに読んでいてガツンと来るので、うっかりした時には読めないと後回しにしてしまうことが多かった。

 でも7話「傷口に酒を塗れ!」で、「セックスをこじらせて」を読んだ時のような気持ちを思い出した。わたしは、雨宮まみさんの人の痛みに寄り添う優しい文章もとても好きだったけど、特に好きだったのは「乗り越えられないようなつらい夜をどうにか乗り越えた」といった話だった。好き、というより心を掴まれるという方が正しいかもしれない。

 「つらい夜が来る」ということを、経緯や原因などを書かずただ「つらい夜が来る」とだけ書くのが好きだった。自分にも、訳もわからず「つらい夜が来た」覚えは数え切れないほどあるからだ。雨宮まみさんは、つらい夜を軽々と乗り越えたのではなく、息も絶え絶えに乗り越えたことをいつも書いていた。乗り越えたからいきなり何かを悟ったり、いきなり強くなったとも言わなかった。だからその言葉には実在する重みがあったし、読むことで「だったら自分もなんとかやりすごせるかもしれない」という道しるべを与えてもらえたような気持ちになった。

 もうわたしたちには彼女が新たに書いた文章を読むことはできない。途方に暮れるけれど、今まで残してくれたものをこれからは繰返し読んで、そのたびに道しるべを見つけ直すのだと思う。

 

 一度、とあるイベントで雨宮まみさんを見かけたことがある。今年の夏、江の島で。勇気がなくて、「ファンです」なんてとても声をかけられなかったけれど、チラチラと横眼で追ってしまった。okadadaのDJでワー!となってスピーカーの前ではしゃいでいたら、間近で彼女が本当に楽しそうに踊っていた。同じ場で楽しめていることがうれしかった。強い酒を飲むのが粋だなんてあまり言いたくはないけれど、テキーラをくっと飲み干す彼女の姿はきれいで格好良かった。あのひとときは今年の夏で一番楽しかった。

 トイレで彼女とすれ違った時、とてもいいにおいがした。本当に一方的で我ながら気持ちの悪い思い出だけど、お会いできてうれしかった。それが最後の機会になってしまった。

 

 そして、後悔していることがある。

 わたしは雨宮まみさんの文章を最初から最後まで、お金を払わず読んでしまった。何度も何度も自分の気持ちを汲み取ってくれるかのような優しい文章や、「こんな気持ちや目に見える風景を見せてくれるなんて」と思う文章を読ませてもらったのに、「web連載で読んだから」とかなんとか言ってわたしは雨宮まみさんの書くものにお金を払ったことが一度もなかった。書籍化された本を、彼女が生きている間に買ったことがなかった。

 「うまく言葉が見つからない、こんな拙い言葉で感想を書くのが恥ずかしい」とかなんとか言って「感動しました」みたいなことすら、ご本人にきちんと伝えたことがなかった。恥ずかしい。

 好きな人には、好きなことをちゃんと伝えなくてはその気持ちは伝わらない。読み手が書き手にできる、その文章への賛辞や感謝の気持ちを表す手段は限られている。ならば、その限られた手段をきちんととらなくてはいけないと思った。わたしが雨宮まみさんの書いた文章にお金を払っていれば、彼女がこの世を去ってしまうことはなかったと思っているのではない。今回のことはもう、起きてしまったことで、一介の読者がそれをどうこうできたとは思えない。

 わたしはただ、「好きな人がいつ、いなくなってもおかしくなくて、そんなことがまた起きた時にこんなに後悔をしたくはない」という自分本位な気持ちでそう心に決めた。

 

 雨宮まみさんから教えてもらったことはもう一つあって、言葉にするととても陳腐でぺらんぺらんで死にそうなのだけど「やりたいことは今やる」というもの。

 去年、今年の彼女の活動は遠くから見ていても本当に活発で、「やりたいことをやると決めた」というようなことを書かれているのも何度か見た。そしてその姿はとても格好いいと思った。

 見たいものはすぐ見に行く、会いたい人は会える時に会う、欲しいものは欲しい時に手に入れる。もちろん全部が全部そうしていたら時間も体力もお金もあっという間に足りなくなってしまうから本当にそうしたいのか真剣に考えたりある程度の折り合いをつけることは避けられないけれど、それでもできるかぎりそうする。

 「やりたいことは今やる」なんて、今まであらゆる先人が言ってきたことだけど、いざ自分がやるとなったら「そうできればいいけどね」って鼻白んだ態度だった。でも今回、本当に、本当にそうなんだと思った。自分にあとどのくらい時間があるかなんて分からないけれど、自分が思っているより悠長にしていられないのは確かだ。

 手始めに、ずっと買いたかったけれど購入に踏み切れなかった映画のDVDを買った。エリック・ロメールの「緑の光線」だ。数千円の買い物なのに、少し胸がすっとした。

 

 「やりたいことは今やる」なんて陳腐で死にそうなフレーズを抱えてわたしはたぶんこれからもやっていく。「つらい夜」に勝てなくても負けないでやっていく。インターネットをやっていて良かったことの一つが雨宮まみさんの文章を読めたことなので、その恩恵にあずかりながら、これからもやっていく。わたしは今36歳なので、自分の番の「40歳がきた!」がどうなるのか少し楽しみだ。

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 うんざりするほど長くなってしまった。この1週間で思ったことを書いてみた。最後まで読んでいただきありがとうございました。