20191129

朝、警察から電話。監察医務院による検視が行われるが、順番は当日朝に決まる仕組み。順番は昼頃という。すぐ昨日作った叔母と兄のグループLINEに投下。兄は即座に葬儀会社と母の家の管理会社に連絡をとっていたので、どうやら兄は仕事ができるな。

昼頃兄と合流し、警察で検視の終わりを待つ。終了が延びに延び、結局1時間半待った。その間に葬儀のプランをどうするかなど打ち合わせ。警察の人たちからは待っている間も細やかに配慮いただいてありがたかった。

1時間半後にやっと監察医がやってきて検視の結果を聞く。わたしとしては「それは知ってるけどそれって要するに何が起きたの?なぜ死ぬまでに至ったの?なぜ母は救急車を呼ばなかった/呼べなかったの?」と疑問も残るところもある。でも、長らく患っていた持病だし、結局細かい経緯が分かったとしても母が死んだことは変わらない。わたしはモヤモヤしたが兄は納得したようだった。

病院と同じように長時間待った挙句3分診察のような説明で監察医は風のように去っていった。本当に忙しいのだろう。

ようやっと死体検案書(なんとストレートな名前だろう)を入手したので、控えを取ってもらいその足で福祉課へ。担当者を呼び出してもらい、コピーを渡してこちらはこれで手続き完了。ご愁傷様ですと言われ過ぎて何とも思わなくなってくる。

なお死体検案書は死亡届と左右で一枚になっている。本来なら申請者が自分で記載して役所へ提出するが、死亡届は火葬許可証を得るのに必要なため多くの場合葬儀会社が代理人として役所で手続きをするのだという。ちなみにこの火葬許可証は葬儀を経て埋葬許可証に変化していく。死体から火葬の対象、埋葬の対象へと変化していく。

葬儀会社と葬儀の日時や見積の件で打ち合わせをすることになっていた。また待ち時間が1時間ほどできたので、ファミレスで待つことにした。昼食を食べそびれていた兄は食事をとり、わたしはヨーグルトパフェを食べた。葬儀が終わるまでは糖質制限は一旦お休みだ。待っている間、ぽつりぽつりとお互いの話をしたりして過ごす。

母から聞く兄の話は、かなりフィルターがかかっていたのだと確信した。20年ぶりぐらいにまともに喋ったけれど、兄は気遣いができて仕事もできる、家族のために仕事を頑張る立派な立派な大人だった。家の事情やらがあって一緒に生活していたのはわたしが生まれてからの10年足らずだけだが、今日一番わたしは兄のことを尊敬して頼っているなと思った。都合のいい話だけど。

 

しばらくして葬儀会社の担当者が到着。

予定していたプランで個別項目を確認して見積を作ってもらったら、インターネットに書かれてる料金の3倍に跳ね上がっていた。「どうしよう」と思ったが兄が冷静に「なんでこんなに跳ね上がってるのか説明いただけます?」と言った。そこからガンガン値下げしてもらい、費用については合意。あとで聞いたが兄は監査の仕事をしてるんだそうだ。なるほどですね。頼りになりすぎる…。しかし葬儀会社の有料オプションの付け方が「こんなこともやらなかったら恥ずかしいですよ」とでも言いたそうな勧め方で不愉快だった。うるせえ。小さいって言っておいて小さくないお葬式のくせに。また措置命令受けてしまえ(あとで調べた)。次に葬式の手配をする時は、遺体の搬送をする前に絶対に相見積をとる。搬送してしまうともう業者を変えようにも変えられないので。これを読んだ人も覚えておいてください。どうか弱目につけこんでくる輩に負けずに。

はっきり言ってとても簡素な葬式になった。近親者だけでやるし、うちを含めてこれまで親戚間でも色々あったし付き合いが深いとも言えないから見栄を張る相手もいない。簡素で結構、と兄もわたしも思っている。同じく20年会っていない父親も参列するとのこと。以前だったら逃げ出したくなる状況だが、今なら別に大丈夫と思う。

 

葬儀会社の担当者がいなくなり、二人でファミレスのソファにぐったりもたれかかり「疲れたね」と言い合った。最後にお茶もう一杯飲んでくか、とお茶をお代わりして解散。

 

帰りに夫と合流して、今日の出来事を色々聞いてもらった。家族がこんなで、今一人ぼっちだったらとても持たない状況だと思う。夫に感謝。

明日は家の中から必要なものを捜索、不用品回収の見積、処理済みか不明の請求書の整理の続き。